三年生になって遊びばかりのことはもうできない。
友達は進路のことを考えてるが、私は小さい頃からあまり目標がない子だから、他の人のやったことを真似するだけ。
そんな成長したわたしは卒業が日々近々になってるとだんだん緊張しになった。
いつも他の人と比べるから、実は自分が何か欲しいのは分からない。
今もそうだ。
三年生になって遊びばかりのことはもうできない。
友達は進路のことを考えてるが、私は小さい頃からあまり目標がない子だから、他の人のやったことを真似するだけ。
そんな成長したわたしは卒業が日々近々になってるとだんだん緊張しになった。
いつも他の人と比べるから、実は自分が何か欲しいのは分からない。
今もそうだ。
わたしは日本の映画を見ることが好きだ。
あまり目立つタイトルではないけど、生活の周りに起こしてもおかしくないストーリだから、私の心を触った。
「僕のおばあちゃん」この映画もそうに感じる。
田舎で住んだ主人公は小さい頃から父が病気なのでおばあちゃんと暮らしてた。
いつか大人になって、不動産のサラリーマンをしていた。
台湾の弁当はいつから作られたかわかりませんが、一つだけ確信できる事は日本殖民地時代から、「弁当」の言葉を使い始めたということです。そして、1949年国民政府が台湾へ来て、幾つもの駅で鉄路弁当を販売始めた。今の50代または60代の人にとっては大切な思い出そうです。それ以外に、台湾の子供たちはは小学校から高校まで毎日家から弁当を持って、学校でもう一回温めて食べます。つまり、台湾の弁当文化は日本から深く影響を受けた以上に、自分の特色もたくさん持っています。
日常生活には様々な弁当をよく見られます。例えば、お昼時間に料理店などが作ったばかりの弁当を出します。お店が自分の弁当を出します。一番多い形は一つの主菜と三つくらいの副菜です。他にも自分で気に入りの主菜と野菜を組み合わせた弁当があって、その店は「自助餐」と呼ばれます。ちなみに、最近コンビニには有名な老舗と提携して、電子レンジで温めればお店の味を再現できる弁当を出しています。話題になった「奮起湖弁当」はその一つの例です。そう言うことで、台湾の人たちは実は弁当と離れない生活を過ごしているようです。
今日本の弁当文化は世界中に流行ってるところに、台湾も自分の良い所を他の国に見せれば素晴らしい事になると思います。日本弁当の特色は見た目が上品で、或いは子供向けの可愛いくて、人たちに買わせたい魅力がある事です。台湾に政府はついこの数年間、そのような弁当も推進していました。それはも一度復古した鉄製弁当箱飯盒です。その特色は弁当の容器を持ち帰られるし、記念性も十分あるということです。台湾がこのように弁当文化を発展させていけば、弁当文化が益々豊かになると思います。
3月11日の午後、東日本で9.0の地震が発生した。今回の大地震はかなり悲惨だが、地震の後は人々の助け合うが各地で次々見られている。この人たちの手伝いは国の中だけではなく、国際にも開いている。台湾の人たちも12年前でひどい地震があって、その時、日本からたくさんの援助をくれた。義捐金のほかにも、簡易な建物などを贈った。12年に経って、台湾の方は日本の大震災を見て、自身とものことを感じて、21億円まで集まった。
下に記事したニュースは全て台湾と今回の東日本大震災に関係して、この三つのニュースを読んで沢山の勉強できました。
【台北・大谷麻由美】95年の阪神大震災と99年の台湾大地震の被災地交流の輪が、東日本大震災の被災者支援へと広がっている。台湾人ボランティアたちは折り鶴を折り、神戸の住民グループを通じて東日本の被災地に届ける計画だ。
私にとっては、国際結婚は多分珍しいことではないと思います。
家族のみんないろんな国からの人です。
父はアメリカン人で、母は台湾人です。
そして、叔父さんはインドネシアとオランダのハーフで、叔母さんはアメリカとユダヤのハーフです。
だけど祖先がずっと前にアメリカへ移民したので、いま二人と従兄妹達はアメリカ人です。
一瞬で、もう三月です。時間経つのは早いです。
今年の冬休みはいつもより寒かったです。それなのに、私はもっと寒い国へ行ってきました。
はるかと同じ韓国へ観光しに行きました。去年の夏休みにアメリカで留学した仲間と二度の旅行でした。友達は今は韓国で交換留学生としてソウルで住んでいるから、私たちは飛行機のチケットを買うや住む所を探すこと用意すればよかったです。今回のメンバーは友達が三人と一人友のお姉さんでした。旅行代は安くなるためにBACKPACKERと言う民宿みたいところで六泊で泊まりました。
今回一番素敵な体験は雪を触ったことでした。初めて雪を触る事ではないが、でも雪が降ってた景色や粉雪の触感やスノーブーツで積雪の道で歩いてた時の音など、雪国で住むが幸せな事だと思います。でも残念だが、友達は全くこんなの考え方を認めてくれませんでした。彼女たちは面倒くさいな事しか思いませんでした。雪が降るとき傘を差したり、転ぶのを心配したり、全然余裕の時間がなさそうでした。それしでも、一人で部屋の外で雪だるまを頑張って作りました。でもよかったのは、やはり皆が一緒に江原道のスキー場でスキーを体験しました。楽しかったです。

今日は家のすぐ近くの”旧松山煙酒公売局”に入った。生まれから一度もそこに入れなかったので、今日はやっとその中にどうな建物があるのを見られて、すごくワクワクしていた。ある質問が聞きたかったでしょう。では、「何故20年も入れなかったのに、今日は入れるの」それは、今日からの二週間、旧松山煙酒公売局は台湾のデザインの博覧会が行われたの会場になってからだ。旧松山煙酒公売局は来年”台北ドーム”になり、今の建物やたくさん樹がなくなる恐れがあるので、私はきょうどうしてても、そこに入ってゆっくり見たかったのだ。もう台北市内はそんなに広いなところはいないと思いました。私の家はすぐ隣だから、側はドームみたいの公共建設はあまり好きではなかった。うるさくなるからだ。まもなくの未来はもう下の写真と見たいの景色が見えなくなり、残念だ。
下の写真は旧松山煙酒公売局で撮った。あまり台北の都心と思わないね。草と樹が高くて、森の中みたい。
そうしてもっと中に歩いて、こんな立派な広場とバロック様式の噴水は目の前にたてるのはちょっと不思議な感じでした。家に戻って、インターネットで探してみたら、日本統治時代で建築されで、今は台北市定史跡に指定されてる。まさかいえの隣で史跡があるって、今日はいろんなこと勉強した。